ひとりの読み専腐女子が心を病みかけて戻ってきた話

~はじめに~

Aことわたしは、古の時代から同人の世界に入って様々なジャンルを渡り歩きながら女性向け同人誌を買い続けている読み専の腐女子である。そのなかで様々な人と交友関係が生まれては消え、つながっては途切れていった。中には腐女子になったときから付き合いが続いている人もいるが(ありがとう)、その一方で約2年前にあるひとりの人間と縁を切ることになった出来事があり、その後のわたしに大きな影響を与えた。あれから2年が過ぎ、だいぶ落ち着いて過去を振り返ることができるようになったので、自分用備忘録としてその一連についてを残しておく。ちなみにこのエントリはなんと1万7千字ある。こわ。

 

 

 

~登場人物~

A:

わたし。この記録の執筆者。読み専。

 

B:

8年の交友関係の末にわたしを壊しかけたので縁を切った人間。読み専。

 

C:

Bの旧ジャンルからの友人。作家。私とはBを通して知り合い、Bについて私の相談を受けてくれていた。

 

D:

Cの創作活動の相方。作家。旧ジャンルのことは知らない。Cを通してBと知り合い、新ジャンルで急速にBと仲良くなった。今はさらに別ジャンルで活動中。

 

M・N:

わたしのさらに古いジャンルからの友人。読み専。新ジャンルはそれぞれ別カプが好き。Bと面識だけはあった。

 

S:

わたしの大学同期。化学系大学院まで出ておきながら「もう実験飽きた」といって外資系コンサルに進み今はフリーランスで教育関係のコンサルの仕事をしている。オタク業界のことは一切知らないしそもそも興味がない。わたしの心の恩人。

 

************

 

わたしとBが出会ったのは、90年代に一世を風靡したものの当時は風前の灯状態だった某ジャンル(旧ジャンルとする)に関してBが書いていたブログがきっかけだった。確か2008年頃だったと思う。オタクとして作品やカプの好みが似ていただけでなく本業に関する出身学科や仕事内容に共通項が多く、私達は一気に仲良くなった。当時からBの周辺には旧ジャンルの友人が多く、彼女を通してCさんとも知り合い交友関係が広がっていった。

Bは、自他共に「超理系人間・ガチ男脳」(わたしはこの名称や区別が嫌いなのだが一般的にはわかりやすいので敢えて使う)と認識される人間で、8年間、私は友人として非常に良好な関係を築けていた、と思う。彼女は義理堅く親切で細やかな心配りが行き届いた、「彼女が自分にとって大切だと認定している人にとっては」素晴らしい人格者だった。また、アラサー独身かつたぶん年収というか生活様式も近かった私達は、旅行や食事などの遊び方もよく似ていて、共通の趣味だった箱根駅伝を応援するため箱根に宿を取って5区6区を現地観戦したり、2年連続年末年始を我が家で過ごしたりもした。私が購入した分譲マンションの我が家でくつろぎながら「この部屋の隣を買いたい」と真顔でいう彼女に「今住んでる人が出てくことわかったらすぐ連絡するね」と約束したりもした。

 

本当に、Bは良い友人だった。

 

***

 

私を含め多くのオタクが旧ジャンルへの愛をさっさと鎮火したり熾火のようにくすぶらせたりしつつ他の様々なジャンルにはまっていくなか、Bはどんな作品を紹介しても頑ななまでに旧ジャンル一筋だった。本人も新しい何かにはまりたくてもはまれない、もうずっとこうなんだと思うと笑っていた2015年末、突然Bがあるジャンル・カップリングにはまった。それが2019年現在も継続しているこのジャンル(新ジャンルとする)である。

最初はBがまさかそんなミーハージャンルにはまるなんてと笑っていた私だったが、Bの熱心かつ用意周到な布教に気が付けば同じカップリング(XYとする)に突き落とされており、ふたりしてXYに夢中になった。読み専の一般参加者としてイベントに並び買い物を分担し、お互いに支部の良作を見つけては魅力や解釈について長文メールで激論を交わし、二人だけでXYの世界を楽しんでいた。ほぼ同じ時期に新ジャンルにも興味を持ったCさんと3人で聖地巡礼の旅行に行ったこともある。このときはまだ、BにとってわたしはCさんと同じ「対等な友人」だった。

 

変化が起きたのは、2016年春頃だっただろうか、BがCさんを通じてDさんと知り合ったあたりからだ。

このあたりの順番をわたしは詳しくは知らないのだが、相方であるCさんの影響かDさんが新ジャンルに参入してきて、彼女は私とBがはまっていたXYでサークル活動を始めた。もともと面識があったBとDさんはこれを機に急接近したようで、その流れでBは急激にDさんに傾倒していった。Dさんはサバサバとしたしっかり者で自称人見知りながら魅力的な人間性のおかげか交友関係を大きく広げていた。やがて、Bを経由して私もDさんとの縁ができ、Bと私はDさんのサークルチケットで早めに入場して買い物を分担するようになった。

Bは否定するだろうが、「作家」との縁というのは単なる読み専にとっては大きな魅力だ。もちろんDさん自身の魅力もあっただろう。しかし、サークルチケットを持ち他の作家と知り合う縁もつくってくれる彼女に、Bはどんどんのめりこみ、それと同時に、ただの読み専でBに何のベネフィットももたらさない、かつDさんとの逢瀬に割り込んでくる(と認識していたらしい)わたしを邪険にするようになった。

このあたりのことは、0と1では割り切れないし、視点によって解釈が分かれると思う。しかし実際、この時期にCさんに「最近Bさんとの仲がすごいじゃん」とからかわれたDさんが「Bさんが私のこと好き過ぎて困るんだよねえ」と笑って返したくらいには、Bの猪突猛進ぶりはすさまじかった。

 

このあたりのエピソードをふたつほど残しておく。

 

<①某公共施設でのイベント>

あるイベントにまだ二人だけで遊んでいた頃のBが私を誘ってくれたことがあり、その新作が発表された。今度も行こうという話になったが、Bの仕事が忙しかったのとそのイベント自体しばらく先のことだったため、「Bさんの仕事が落ち着いたら教えて、日程相談しよう」ということになっていた。

しかし、後日ひょんなことからBがDさん「だけ」を誘ってこの新作イベントに行こうとしていたことが判明し、わたしがショックを受けているとそのことを知ったDさんがわざわざわたしにも声をかけてくれて、結果的には3人でイベントに参加することができた。

Dさんの気遣いに感謝すると共に、一緒に行こうと話していたはずの、Bからの連絡を待っていたはずのイベントを私に何の相談もなくDさんと行くことにしていたBに、最初はただ悲しみだけが残った。

 

<②某カップリングオンリのアフター>

Dさんがサークル参加するようになり、Bとわたしを含めた3人で買い物分担することが続いていた。

あるオンリーにて、私達3人は事前に買い物リストを作成しメールでやりとりしながら綿密な購入計画を立てていた。アフターについての話題は出なかった。そしてオンリー前日、わたしとBの共通の友人から「オンリーのあとにDVD鑑賞会やるから来ない?」とお誘いが入った。するとBが「この日はDさんとふたりで飲みに行くから夜からなら行けるよ」と返信した。わたしは目を疑った。確かにイベント当日のアフターはやったりやらなかったりまちまちだし事前に決まることもあるが当日その場のノリでということも珍しくはない。ないが、「事前にあれだけイベントに関してメールをやり取りしていて」「アフターに行くことが決まっていて」「なのに私にだけ敢えて黙っていた」という事実に衝撃を受けた。

結局、鑑賞会の開始時間が遅めだったことから、BとDさんはふたりで飲みに行ったあとBだけが参加し、わたしは別の友人と一緒に合間の時間を過ごしてから参加した。

この件と周辺の諸々については、後日Dさんから「そんなつもりじゃなかったけどよく考えたらAさんを仲間外れにしてるように見えたかもしれない。いやな思いをさせちゃったらごめんね」という言葉をもらっており、Dさんにもおかしいという認識はあったようだ。しかし、Bはそうではなかったことがのちに判明する。

 

これらはほんの一例である。

最初は徐々に、少しは気を遣いつつ、そしてだんだんあからさまに、Bは他の人間に対して見せる気遣いをわたしに対しては減らしていき、やがて消し去り、そして逆に軽んじるようになっていった。

Dさんをきっかけのひとつとして、わたしとBのXYに関するコミュニティは大きく広がっていった。しかし、その中で「作家ではない」人間は、当時はほぼわたしとBくらいだったように思う。様々な魅力を持った人々との新しい出会いが増えていく中で、いつもまずお互いに声を掛け合っていたわたしとBがそうでなくなることは当然だし、特にこれまでわたしにかけていた声をすべてDさんに全振りするようになったBにさみしさを感じてもう少し構ってよという態度をまったく出さなかったとは言えない。ただでさえわたしは顔立ちのせいなのか「黙り込んでいると怒っているか機嫌が悪いように見える」と言われることがままあるが、そういうとき実際はだいたい緊張しているか体調が悪い。ただ相手にそう思わせたのなら思わせない努力が足りないときもあっただろう。クールでドライなDさんに夢中だったBにとってはわたしのそういう行動がひどく幼稚で未熟に見えたようだ。

ただし、少なくとも事前にわたしと約束していたことくらいは守ってほしかったし、その約束を反故にした自分を正当化するために嘘をつくこともやめてほしかった。そういうものは後から簡単にばれるものだ。しかし、Bの態度はエスカレートしていく。同じ話題に触れていても他の人には積極的に絡んでいきながらわたしを無視することも当たり前になっていき、そのたびにわたしは発言を控えたり逆に混ぜてほしいと飛び込んでみたり、Bの顔色を窺って異様に神経を尖らせながら動くようになってしまった。しかし、わたしのそういう態度が彼女には「承認欲求にまみれた幼稚で未熟な構ってちゃんの不機嫌アピール」に見えていたのだそうだ(後述)。

 

 

***

 

いきなり話がそれるが、わたしはこの問題が深刻化する少し前、職場でパワハラを受けていたことがある。

相手はわたしが所属していた研究室の室長。立場が上の人間には媚び諂うし自分が苦手にしているか実力が上と認識している人間にはすりよる割に、馬鹿にしていいと決めた人間にはとことん失礼なタイプ。私以外の優秀な部下を放牧していたらものすごい成果が上がったおかげで出世した。自信のなさの裏目からか気まぐれに八つ当たりする対象が傍にいないと不安定になる傾向があり、一時期は私が格好のターゲットになっていた。あの、人を叱りつけているうちに自分でも制御できなくなって暴走していく様子、説教という名を借りた見下しや嘲りをまくしたてている自分に酔っているときの嗜虐的な目の色や歪んだ顔つきは今でも忘れられない。

最初はふたりだけのときだった失礼な言動(報告書の添削を一言一句直して何度も差し戻す(結局元に戻ってる)、他の人もしていることをわたしがしたときだけ呼び出して叱る、休暇申請メールに嫌味、定期面談がただの圧迫面接etc.)がだんだんエスカレートして人前でも出るようになり、わたしの知らないうちに室員の間でも問題になっていたらしい。自分では感覚が麻痺していて悪化していることにさえ気が付かず、ただ漠然といつかは良くなるだろうと耐え続けていた。そして、研究所所長への重要な技術発表をわたしが担当したときの室長のわたしへの物言い(と所長への媚び諂い)で問題が一気に表面化した。ついに他室員からの情報もあって部長から一対一の面談に呼び出されたので、これまでのあれやこれやをすべてぶちまけて異動を願い出たところ、詳細を初めて聞いた部長にそこまでとは思っていなかったと絶句され、これまでの不干渉を詫びられた。そのうえで、いまわたしがこの研究室には必要な人間であり彼は絶対に改善させるから落ち着いて考えてほしいそれでも希望するならきちんと異動させるという言質をもらい、実際に何をどうしたのか知らないが室長からのパワハラは激減したので、そのあともしばらくその研究室で働いていた。

ちなみに、それから1年後に私は希望していた別の部署に異動し、部長は新所長に昇進し、さらにその1年後に室長は降格させられた。理由は知らない。

かつての研究室に異動してきた先輩に、わたしが異動したあと「いまだから言えるけどさ、俺が異動後に初参加した室会で進捗報告したのがAさんだったんだよね。あのときの室長の言動に俺びびったもん、なんだこいつって。それを黙って聞いてるAさんも周囲もおかしいなって。よく我慢してたよね、異動おめでとう」と笑い話のネタにされたことをよく覚えている。

 

話を戻す。

そんな過去があり、人からの精神的な抑圧に疲弊していたわたしは、長らく良好な友人関係にあったはずの人間にまでそんな扱いを長期的にじわじわと受け続けて、少しずつ精神的に不安定な状態になっていった。

 

***

 

わたしとBは同じ秋生まれ、どころか誕生日が数日違いである。

誕生日が近づいたある日、去年はBとふたりで少しお高めなレストランに行き記念日ディナーを食べたことを思い出しながら、どういう経緯かは忘れてしまったが、何故かCさんとふたりだけで会うことになった。

待ち合わせのカフェで落ち合ったCさんは、開口一番「Aさんて確かお誕生日近いんですよね?これ、ささやかですけど」と笑顔でラッピングされた包みを渡してくれた。それはそれほどお値段がはらないだろうゆえに相手に気を揉ませすぎない、でも上品で高級感のある、センスの良いプチギフトだった。

完全なる不意打ちに茫然としているわたしにニコニコとおめでとうをいってくれるCさんを見て、去年のふたりで食べたディナーを思い出して、頼んだわけでもないのに自分のことをこんな風に尊重してくれる人がB関係のなかにいることに情動が爆発して、わたしはいきなり泣き出してしまった。Cさんはさぞかし困惑しただろうに、ずっと黙ってそばについていてくれた。

少し気持ちが落ち着いたところで、Bのことをすべて話した。Cさんは、「BがDとものすごく仲良くなっているとは思っていたけどAさんにそこまでしているとは思わなかった。実は前からBのそういう(どうでもいいと思った人に対する無神経な)ところは気になっていた。それを一気に受けたあなたは大変だったよね」とねぎらってくれた。それにまた少し泣いた。

 

つらかったことを受け止めてくれる友人を得たわたしはかなり元気になった。XYのコミュニティにおいてわたしとBは交友範囲がかなりかぶっていて、しかも大変に外面が良く皆に良い人と思われているBの言動についてわたしはほとんど誰にも相談できなかった。Dさんは、違和感はあっても面倒事には巻き込まれたくないようで(自分は尊重されまくってんだからそりゃそうだ)、AとBの問題なんだから自分たちで何とかしろというスタンスだった。しかしわたしを見下しきっているBにわたしが何を言ってもBにとっては負け犬の遠吠えにしか聞こえない状態でそれはほぼ不可能だったのだが。その点、ジャンルは同じでもXYには関わりなくBの良い点も悪い点もよく知っているCさんは相談相手として最適だった。CさんはBの問題点を指摘しわたしの被害を慰めながらBのフォローも忘れない、バランスの取れた発言をする人だった。しかし今思い返してみれば、CさんはDさんの相方であり、わたしよりBとの付き合いの方が断然長い。あちら側からも話を聞いているはずで、彼女は彼女で大変だっただろう。その点は申し訳なかったと思う。

 

この頃に、Bの「自分にとってどうでもいい人間に対して”のみ”発揮される無礼さ無神経さ」をよく象徴しているエピソードがある。

最近人気が出たジャンルでは必ず開催されるコラボカフェが、新ジャンルでも発表された。わたしは大昔のジャンルからの友人Mちゃん・Nちゃんと3人で申し込んでいたのだが、案の定落選してしまい、譲渡を探そうとしていた。そこにBが「4人席が当選したからDさんと一緒にあなたもどうか」と誘ってくれた。当時すでにわたしを見下しがちだったBがどういう風の吹き回しだったのかはわからない。そして、残りの1席分は空席で参加の予定といわれたので、ではその1席をわたしの友人に譲渡してもらえないか、もう1席分はこちらで探すと相談した。BとMNは面識だけはあった。するとBは「わたし他の日も確保できてるから、じゃあ2席譲るよ。もし1席見つかったら返してくれればいいから」と申し出てくれた。このときは本当に驚いたし、わたしとMNの3人から深く感謝を述べた。行きたい友人が2人いるという私の言い方が圧迫になったのかもしれないが、「理性的で合理的な考え方をする」Bには通用しないはずであり、そもそも2席分の譲渡を申し出てきたのはBからである。

しかしそれから毎日、本当に毎日、Bから「ちゃんと1席譲渡を探しているのか」「譲渡ツイートを見つけたけどリプがついていないどうしたのか」と日に何度も問い合わせが来るようになり、正直油断していたわたしは困惑しながらMNに譲渡探しを促すようにしていた。社会人として日中仕事をしている身でそれほど頻繁なチェックは難しいはずなのだが、Bにとっては「人の席を奪ったんだから最大限の努力をするべき」ということだったらしい。

譲渡ツイートは対象が相互フォロワーオンリーだったりリプしても無視されたりでなかなか1席分が見つからないままカフェ参加日が近づいてきた頃、Bから「そういえば、着席したらもらえるコースター、MさんとNさんの分はこちらで回収するので、汚損なき状態で保存しておくようにと伝えて」と連絡がきた。わたしはかなり驚いた。席に当選したのは確かにBだが、費用を含めた席ごと譲渡した以上その席でもらえるコースターは譲渡されたMNのものではないのか。それを当然のように奪うどころか「汚損なき状態で」保存せよという言い方はなんなのか。なにより、そのコースター回収をわたしとDさんには言ってきていない。しかし回収すると宣言された以上、伝えないわけにはいかない。MNにそれを告げると「ふたりで相談したんですがやはりBさんに申し訳ないので席は1つでいいです、より行きたがってたMちゃんだけ行かせてください」と申し出てきた。もう交通手段を確保してしまっていたNちゃんは来るだけ来て周辺で待っているという。なので、Bに譲渡は1席分だけで良いこと、でもNちゃんも来るからカフェの後に5人で会ってカフェについて報告会をしたいことを伝えた。Bはそれを受け入れ、報告会のことも了承した。確かに了承したのだ。DさんにはBからそれが伝えられているとわたしは思い込んでいた。

カフェ参加当日、4席はB・Dさん・わたし・Mちゃんで参加した。ランダムコースター(自分が参加できたためかMちゃんの回収はしなかった)やコラボドリンクや内装を楽しんだ後、店を出たわたしはBとDさんにNちゃんが待っているので落ち合おうと言った。するとBはさらりと「あ、わたしたちこれから用事あるんで」とのたまった。積もり積もった不満が爆発したわたしは「そうですか、じゃあけっこうです」と吐き捨てておろおろしているMちゃんと共にその場を去った。このときのことをBは「私達とお茶に行きたかったのに断られたからってめちゃくちゃ機嫌悪くしちゃって、ああいうところが幼稚なんだよねえ」と人に話していたらしい。

断言するが、MちゃんとNちゃんがもしもXYクラスタだったら、もしも作家だったら、もしもDさんの友人だったら、Bはこんな態度は取らなかっただろう。自分の言ったことも平気でなかったことにするし、それで相手がどう思うかも関係ないし、そのせいで傷付いた相手の言動をこきおろすことに何の躊躇もない。自分にとってどうでもいい人間が相手なら。Bはそういう人間だった。

 

そして、嵐はいつも突然起きる。

 

***

 

秋のイベントが終わったある日、どうせわたしのツイートなど見ていないだろうというか自分のことだとさえ気づかないだろうとたかをくくって「長く友人だと思っていた人が変わってしまって悲しい」といった内容のことをツイートした。すると、そのスクショとともに「これはわたしのことですか?勝手に憶測でものを言わないでください」というような内容のDMがBから送られてきた。

心臓が止まりそうになった。

思い切って、これを機に会ってきちんと話をしたいというDMを返信したところ、非常に長文のメールが来た。このときBから来た2通のメールを読み返すと、2年たったいまも精神に多大な負荷がかかる。

まず1通目。文面は、「わたしにも改善すべき点があるが、そもそもあなたの『承認欲求にまみれた幼稚で未熟な構ってちゃんの特別扱いしろアピール』に問題がある」ということが、理論的というよりただただ上から目線の冷めきった文体で延々とつづられていた。それに息も絶え絶えになりながら日程調整の返事をしたところ、2通目が来た。人様に迷惑をかけている私たち(といいながら実質わたしひとり)の問題点を挙げながら日程確定の説明と共に記されていたある一文にわたしの目は釘付けになった。

 

↓メール本文のスクショより(塗りつぶした部分がわたしの名前)

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この「他の方」がCさんを指していることは明白だった。

最後の( )部分が秀逸である。

たぶん、Cさんは、自分にとっては大切な友人であるBの暗部を聞かせられ続けることにつかれてしまったのだろう。それは完全にわたしの責である。そして、直接かDさん経由かは知らないが、BはわたしがCさんに相談していたことを、そしてCさんがその相談を負担に思っていることを、知ったのだろう。そのうえで、一見してわたしのことを心配しているように見せかけながら『あなたが、大した関係も構築できていないCさんに、Cさんの大切な友人であるわたしのことを相談したせいで、Cさんとの関係が悪化しちゃってますよ?』と高笑いしながら警告をつきつけてきたのだ。

この一文は実に効果的だった。Cさんへの申し訳なさで頭いっぱいになりながら、自業自得によりわたしはBのことを知っている唯一の相談相手を失った。

 

このころのわたしは本格的に不安定になってきていたようで、ようでというのは、自覚はなかったのだがリアルの友人諸氏が様子のおかしいわたしをかなり心配していたことをあとから知ったからなのだが、当時の手帳を見返してみるとその病み方に苦笑するしかない。民間のカウンセリングに何度か通ったのもこの頃だ。無関係な人に話した方が良いといわれて、Bどころかオタク世界のことを知らない友人何人かに、特定の単語を省いてざっくりと人間関係で悩んでいるというようなことを打ち明けた。わたしの側の事情しか話していないのである意味当然なのだが、全員から口をそろえて「さっさとそのコミュニティから離れろ」と助言された。自分でもそのとおりだとわかってはいた。でもまだXYが好きだったしどうして自分が離れなければいけないのかという悔しさもあったし、なにより、まだBのことを信じたい気持ちが心の片隅にあった。Bの「わたしにも改善すべき点がある」という文面を信じたい、直接会って話をすることで何か良い方向に変わるのではないかと、愚かな私は希望を持っていた。

カウンセラーに「うつ病になった人の特徴のひとつに、『なんでもないときにいきなり涙が出て止まらない』があるんですよね?わたし、いきなり心臓がぎゅっと痛くなったりいきなり呼吸がしにくくなったりして動けなくなることはあっても、涙が出てくることはまだないんです。だからうつ病にはなってないかと」と説明したら「だからそれは『もうなってる人の症状』なんですよ。あなたはもうすでに一歩手前です」とたしなめられたにも関わらず、である。

本当に、愚かの極みである。

 

***

 

2016年11月。品川の某レストランにて、久しぶりにBとふたりで直接会った。

会話文は青字がわたし、赤字がBである。

 

まず、わたしから切り出した。

「あなたのメールによると、自分にもある改善すべき点というのは『わたしに対して厳しすぎた』という1点のみで、そのほかには一切おかしなことはなく、それに対してわたしが承認欲求が強いあまりに特別扱いしろと要求し過ぎたのが悪いと、そういう認識で合っていますか?」

かなり偽悪的にしたつもりの表現に彼女は頷いた。

「ええ、その通りです」

さらに、彼女は澄ました顔でこう続けた。

「わたしがあなたのことを無視し続けていたのは、相手にしてあげたら味をしめてつけあがると思ったからです」

味を。しめて。つけあがると。思ったから。無視し続けて。いたんだと。

わたしは見事に出鼻をくじかれてしまった。お互いに話し合う気なんて、ないじゃん。

 

とりあえず、個別に確認をしていこうと思い、まず前述①参照、二人で行こうと言っていたのに無視されたイベントのこと、どうして声をかけてくれなかったのかを聞いてみた。すると

「そもそも、Dさんになんて聞いたんですか?」

と逆に聞いてきたので

「え、Bさんと行くんですかと聞いたらそうですと言われたので、『わたし一緒に行こうって言ってたのになあ』って返しまし……」

とわたしが言い終る前にかぶせるようにして早口で

「そんなあてつけみたいな言い方したら優しいDさんがあなたを気にして誘うの当然じゃないですか。申し訳ないとは思わなかったんですか?」

と責められ、呆気にとられた。いや、その前にそもそもあなたが一緒に行こうでも今仕事忙しいから以下略って言ってたよねという反論は

「わたしはそんなこと言ってません。誘ってもらいたかったあなたの妄想です」

の一言で叩き潰された。一緒に行きたい人にだけ声をかけるのは当然、とのことだった。

 

次に、前述②参照、オンリのアフターの件。3人で買い物分担したあとなのだからアフターすることになってたのなら声をかけてほしかった、と心情を説明しながら、Dさんの「そんなつもりじゃなかったけど」という謝罪を思い出していた。Bにもそう言ってもらえたら、そうだよねさみしかったんだよでもわたしも気にし過ぎたよね次からは声掛けてほしいなで終れると思っていた。

しかし彼女の反論はこうだった。

「は?だいたいさっきのイベントもそうですけど、自分が行きたいなら自分から声かけてください。アフターなんてやるときもやらないときもあるんだし。

だいたいAさん、わたしとDさんが一緒にいたらXYの話しかしないとでも思ってるみたいですけど、あなたと違ってわたしたち他の話もするんですよ。あの日は野球の話をすることになってたんです。だからあなたに声をかけないのはおかしくもなんともありません」

本当に、呆気にとられた。

とにかく、「自分は一切なにも悪くないAの考え方が間違っている」ですべてを通そうとしていることがわかった。それくらい支離滅裂な言い訳だった。

わたしとあなたもXY以外の話したよね?弊社協賛の美術館展に誘ったらあなた来たし箱根駅伝も見に行ったし、あなたの婚活話もライザップ通ってた話も聞いてあげたよね?いやDさんと野球の話でもなんでも好きなだけしていいよ、確かにわたしは野球には興味がないよ、でもそれ3人でXY本の買い物分担したオンリー当日の夜にしなきゃいけない話?????

今ならいくらでも出てくる反論がこのときはまったく頭に浮かばなかった。あまりの暴論に返す言葉がなくただただ唖然としているわたしの顔を、Bは「正論を返されてぐうの音も出ないでいる顔」だと判断したらしい。

いたぶる獲物を見つけたとその顔が告げていた。

ああ、わたしに気持ちよさそうに説教しているときの室長と同じ顔しているなあとぼんやり思った。目を見開いて鼻の穴を膨らませて口元を歪めて、他者を見下し踏みつけそれに苦しむ相手を見て悦んでいる顔。

 

「だいたい、そのイベントでDさんからもらっているサークルチケットに対するお礼をあなたは全然してないそうですね。わたしは一緒に飲んだ時に多めに払ったりするようにしてますけど、あなたはもらってばかりで恥ずかしくないんですか?」

これはまったくそのとおりだった。言い訳すると、これまでこんなに継続的に同じ人からチケットを貰い続けたことがなくタイミングがわからなかった、分担とはいえ基本的にはスペースに常駐しているDさんよりわたしとBの購入配分が多いのでそれでバランスが取れているという気持ちもあった、なにより、過去にわたしがチケットを頂いた人たちが皆「使わなければ紙屑になるものだし有効活用された方が嬉しい、お礼とかされるとこっちが気にしちゃうからやめて」という人ばかりだったので気が回らなかった、などの理由があったが、ちゃんとしたお礼をしていなかったのは事実である。それはきちんとすべきだという指摘で済めば、わたしはもっと素直に受け入れられただろう。

だが、上記の理由を説明したわたしに向かって、Bは、笑いながらこう言った。

 

「わたしとDさんの人間的なレベルとあなたのレベルとには、ずいぶん差があるようですね」

 

ここでわたしの心は折れてしまった。

わたしの人間的なレベルはかなり低いらしい。

 

あとはBの独壇場だった。もう返す言葉もなくうなだれるばかりのわたしに対して畳み掛けるように他のいろんなひとの名前を出して、あの人にもこうしたよねこの人にもこういったよねとわたしの言動をあげつらい、最後はドヤ顔で

「自覚がないようですけど、あなたの行動にXYのお友達みんなが迷惑してるんですよ。わかってます?わかってないですよね?だから教えてあげたんです」

としめくくった。メールにあった、「わたしたちの関係悪化に伴う周囲への迷惑」はすべてわたしひとりの責任とのことだった。遠い後日、ここで名前が出た人たちにそれとなく確認と謝罪をして回ったところ、それらはほぼすべてわたしを貶めるためにBが言葉の端々を切り取って組み立てた捏造だったことが判明するのだが、そんなことこの瞬間にわかるはずもなく、この頃にはもう「はい」「そうですね」しか言えなくなっていたわたしは、それに続いての

「でも、わたしもちょっとあなたに厳しすぎたかもしれませんね。Aさんが自分のそういう行動を反省して直してくれるんなら、わたしももうちょっと優しくなれると思います」

という言葉に、本当ですかありがとうございますと返した。ような気がする。もう心が麻痺していた。小さな声で冬コミのお買いもの分担には混ぜてもらえるんですかと聞いたらいいですよと言われたので、わたしは嬉しかった。んだと思う。頭はガンガン割れるように痛かったのに。

 

他に聞きたいことや言いたいことはありますかと問われて首を横に振り、満足げな顔で会計を一括で済まそうとカードを出した彼女に必死で自分の分の金額を渡し、店を出て別れた。

もう、疲れ切っていた。

 

 

 

帰宅した部屋でソファの上に体操座りしながら、言われたことを反芻していた。わたしが今こんなに苦しいのも悲しいのも全部自分がレベルの低い人間なのが原因で、それなのにこれからは優しくしてくれるというんだから喜ばないといけないんだ、なのにどうして喜べないんだろうと混乱していた。たぶん、このまま朝を迎えていたらわたしは一線を超えて「こわれた」と思う。

茫然としていたところに突然「今日会うっていってたよね?」とLINEが来た。大学からの友人Sだった。ついこないだ久しぶりに食事をして、オタク関係のことは一切わからない彼女に部外者だからこそBのことを話して、会う日が決まったことも伝えていた(すっぽかせと散々言われていた)。いたが、伝えていたこと自体忘れていたので、Sがそれを覚えていたことにも、そしてお願いしたわけでもないのに気にかけて連絡をくれたことにも、ものすごく驚いた。

 

そのときのLINE。Sは福島からの出張帰りだった。

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仕事を終えて電話してきてくれた彼女に、今日あったことを話した。オタク用語や状況を省いて説明するのはなかなか難しかったが、その分シンプルに言われたことを淡々と説明した。

すべてを聞き終わった彼女は、電話口で、わたしが驚くほどに、激怒した。

「なんなのそいつ!?言ってることめちゃくちゃだし失礼過ぎるでしょ!?ああわたしが隣に座ってたらイチから全部論破してやったのに!!」

Sならできる……と彼女の職歴を思い出しつつ、なおも電話口で吠え続ける彼女の声を聴いているうちに、冷え切っていた心が少しずつあたたかくなっていくのを感じていた。

「わたしの大切な友人はレベル低くなんてない、そんな風に傷付けるなんて許せない」「そんな大変な時間をよく耐えた頑張った本当にお疲れ様」と強いメッセージを投げかけ続けてくれて、涙よりも笑いがこみあげてきた。「ちょっと何笑ってんの、あんたのことでこっちはこんなに怒ってんのに!」とプリプリするSに笑いながら「ごめんごめん、ありがとう。本当にありがとう。Sね、たぶん自分で思ってるよりもすごいことしたよ」と感謝した。は?なにそれ?ねえ今度ちゃんと会おうね慰めたげるから、そうだねまた連絡するねといって電話を切って、気持ちが明らかに変わっていることを感じた。さっきまで希死念慮さえはじまりかけていた自分の尊厳が取り戻されてきている。間違いなく、Sからの電話がなければそのまま落ちていただろう奈落の底から這いあがってこれたのだ。この日SからLINEをもらったことは一生忘れないだろう。自分が理不尽に馬鹿にされて傷付いているという事実を認めて受け入れなければいけないと思った。

 

***

 

その後の話。

 

 

腐女子だけど新ジャンル自体は興味がない、当然BCD誰のことも知らない年上の友人にこの話をした。送られてきたメールも見せた。その結果、

「お前にも悪かった点はいろいろとある。特にこのメール、理詰めで見下しに来てる相手におまえは感情論ばかりでちゃんと反論できてない。ただ、そういう言葉を友人だったはずの人間に面と向かって投げつけられる時点でBの人間性には問題があるし、そもそも自分を対等な人間として扱う気がないやつとはさっさと縁を切れ」

と言われて目が覚めた。それまでどうやってBとうまくやっていこうかとばかり考えていたので、コミュニティの中にいながらB個人とは縁を切るという選択肢があることに初めて気が付いた。

というわけで、冬コミを最後にBとは縁を切った。向こうは、「わたしは交友関係が広がってみんなと公平に仲良くしようってきちんと対応していたのに、Aさんが今まで通りわたしだけ特別扱いして!っていうからそれは無理だよって説明してあげたら機嫌悪くなっちゃったんだよね」という認識でいるようだ。彼女からみればそうなんだろう。

 

あれから2年。相変わらずわたしもBもXYのコミュニティの中にいる。共通の友人も多い。最初期の仲が良かったころの私達を知っている人のうち、何人かには事情を話したが、一見して変わらずどちらとも交友関係を続けていてくれて、それには本当に感謝している。話していないけど察して何も言わず付き合いを続けてくれている人、さわりだけ話したら面倒くさくなったのかわたしから離れた人、そもそもまったく気づかない人、様々である。

Bと縁を切ったあとに知り合った人がBととても仲が良いことを知った時は「レベルが高い人なのになんで!?」と身構えたりもしたが、いまではわたしとも普通に仲良くしてもらっている。ありがたい。

Bは、いまや様々なオフ会を取り仕切り、宿や店の手配を行い、その手際の良さや頭の回転の速さ、親切な人柄などから「社長」と呼ばれて慕われているそうだ。彼女の評判を耳にするたび、トランプ大統領によく似ていると思う。彼も家族や彼の熱烈な支持者など自分の身内に対する愛情深さはよく知られているし、大切にされている人にとっては彼の悪評は彼を妬むマイノリティの捏造のように見えるだろう。

「自他ともに認める超理系人間・ガチ男脳」という説明は、「空気を読まずにいつ誰に対しても正論を言ってしまう」人間の免罪符として使われることが多い。だがほとんどの場合、そういう人は実際にはちゃんと相手を選んでいるし、馬鹿にしていい人にだけ無神経な発言をして自分の理系ぶりに酔っているだけである。

繰り返すが、Bは「彼女が自分にとって大切だと認定している人にとっては」本当に素晴らしい人格者である。Bと適切な友人関係を築けている人は、それを大切にしてほしい。あなたは「人間的なレベルが高い」のだから。彼女との相互尊重関係がどれだけ心地良いか、わたし自身がよく知っている。

ただし、そんなBは、馬鹿にしていいと判断したら、たとえ8年間友人だった人間に対しても面と向かって「相手にしてあげたら味を占めてつけあがると思ったから無視していた」と嘲笑うことができる人間なのだということは、覚えておいてほしい。

 

彼女はきっとこのまま彼女のお気に入りに囲まれ気に入らない人を踏みにじりながら生きていくのだと思う。

 

 

 

会ったら報告すると言ってあったCさんには、Bとの会合について手短に話し、縁を切ることにしたと告げた。ただ、会合から間もないうちに会ったのでわたしの心の整理がついていなかったし、なにより「『大した関係も築けていない人』に迷惑をかけてうざがられたくない」という恐怖が大きすぎてきちんと説明をすることができなかった。事態をよく呑み込めなかったのだろうCさんは笑顔で「言い方がひどいね。でも彼女に悪気はないんだよ、だから気にしちゃダメ!さっさと忘れちゃおう」とアドバイスをくれた。両者を知っている人間にはこれが精一杯だったのだろう。そのときはそっかーそうだよねーと受け止めたが、のちのち考えるとわたしよりBを優先していることがよくわかる文言である。言い方の問題ではない。やがてCさんには距離を置かれるようになり、わたしもそれをわきまえるようになった。

 

 

 

当初はわたしのことを気にかけてくれていたDは、事態が進むにつれて面倒くさくなったのだろう、Bと同じようにわたしを厄介者カテゴリに分類したようだった。

秋のイベント後、Bのことを相談したくてDを食事に誘ってみた。彼女は、本業の仕事がー原稿がー集中したいのでーと長い前置きと共に「11月いっぱいまで難しいので12月になったら行きましょう」と断ってきた。わたしは馬鹿正直にその説明を真に受けていたが、そのほんの数日後にDはBに「昨日の飲みも楽しかったね!今度また近いうちに行こう!」とリプしていた。さらには、あるXY作家さんたちが「今度ゴハン行こうよ」「いいね!」と盛り上がっていたところに「わたしも混ざっていいですか!?11月の~~あたりなら行けます!」とリプで突撃し、みんなで「これ以降はDMにしましょうか」とうきうきで日程を詰めに入っていた。

12月末、BとDもいる大人数の飲み会にわたしも誘ってもらった。わたしはたまたまDの隣席だった。同席者のひとりが「大事なこと確認したくてLINEしたら『すいませんいま風邪ひいててそれどころじゃなくて』って返ってきたんだけどさ、そいつツイッターでめっちゃ遊んでるとこアップしてんだよね」とぼやいたところ、場が大いに憤慨するなか、Dは「そんなすぐばれるような浅はかな嘘、なんでつくんだろうねー?」とゲラゲラ笑っていた。わたしは思わず隣席のDの横顔をまじまじと見つめてしまったが、彼女はそれにまったく気づかないまま「○○さん、それ完全になめられてるよ。いや、馬鹿にされてるよー、もっと怒った方がいいよ!」と息巻いていた。

ああ、わたしはDに馬鹿にされていたのか、と腑に落ちた。

冬コミで、これまでのサークルチケットのお礼の意味をこめて、Dに“XとYのイメージに合う色とデザインのハイブランドタオルセット”を贈った。彼女は「そんなこと気にしなくて良いのに!」と非常に恐縮しながら受け取ってくれた。

その日の夜、Dのツイッター「見てこれ!めっちゃXY!」とわたしの送ったタオルの写真がアップされ、何人かに褒められていた。

誰から贈られたのか、そもそも贈り物であること自体、彼女は触れなかった。

そういうことなんだと思った。

彼女は今でもBと大変仲が良いらしい。人間的なレベルの高い者同士、さぞかし気が合うことだろう。

 

 

 

改めて読み返してみると、たったひとりとの人間関係を起点としてここまで追い詰められてしまった自分の視野の狭さ、メンタルの弱さが情けなくなるが、当時は自分なりに必死だった。されたことやいわれたことはほとんど口頭だったりもう削除してしまったメールの中だったりで証拠がほとんどないので、わたしの捏造か被害妄想だろうと言われても反論できる材料はない。もしBがこの文章を読むことがあったとしたら、被害妄想でこんな嘘をつくな!!とあのときと同じ表情でわたしを罵倒してくることだろう。だが、わたしにとっての真実はこのなかにすべてこめた。

前述の友人の言うとおり、わたしにも悪かった点がいろいろとある。また、Bがわたしを傷つけたように、わたしも誰かを傷つけていることがあるかもしれない。

ただBのように意図的にはしないように、それを楽しまないように、そして自分がしてしまったときはそれに気付けるように、自分で気付いたときも人様に指摘された時もそれを謙虚に受け止めて内省できる人間であるように、心がけていかなければいけないと思っている。

 

ちなみに最近、マンションのわたしの隣室が売却された。このタイミングで良かったとつくづく思った。すぐに買い手がついたようで新しい人が入居した。

 

めでたしめでたし。